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猫 から 怪電波

サブカル巡礼の手記。主に感想文。

映画『肉』

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池袋新文芸坐にて『肉』(2013年/ジム・ミックル/米)を観てきた。

 

【あらすじ】
ニューヨーク北部に洪水警報がもたらされ、不慮の事故で母親エマが亡くなってしまう。

残された父親フランクと姉妹のアイリスとローズ、そして末っ子のロリー。
傷心の一家を医者のバローや保安官補のアンダース、隣人のマージが支える。
しかしこの土地では行方不明者が多発しており、更に近辺の川から人骨が見つかり、自身の娘も行方不明になっているバローの疑惑はクールー病を患っていたエマ、そして一家へと向かう。

 

終始『小さな悪の華』や『闇のバイブル 聖少女の詩』を彷彿とさせるゴシックな世界観の中で、代々伝わる人肉食という現実に姉妹が葛藤する。

冒頭の格言のようなものに添えられたアリス・パーカーという名前は、パーカ一家の人肉食の歴史の幕切りである張本人。

物語ではパーカ一家は金曜から日曜まで断食していたようだがこれは何故だろう。
キリシタンは妊娠出産・死などに面した時に難を逃れるという意味で断食を行う。
フランクが時折聖書の一節を諳んじるのでキリシタンであることは確実だろう。
日本でも死者の命日にはナマモノを避ける風習がある。
ここで一度、エマを弔ってのことかと考えたが、実はエマの死が確認できる前に断食は決行されていた(末っ子のロリーがスナップポップを催促するのは年相応な感じがして可愛い)。
おそらくパーカー家は「子羊の日」の前には恒常的に断食を行っていたのだろう。

自分たちの生死、そして生贄の生死にまつわるこの儀式の前に断食するのは真っ当な理由と言える。

父親や娘たちがエマの死と空腹により日増しにやつれていき「子羊の日」の直前までくると解体の疲労も相まってかなり疲弊している(青白い肌に赤黒いクマが刻まれている。これがまたゴスっぽい世界観を醸し出している)。

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終盤になるとフランクはサイコホラーさながら人を殺していく(しかも別に食べない)。
そもそも行方不明になっているのはバローの娘やアイリスの同級生とわかるだけでも若い女性ばかり。
なんかもっと墓を荒らすとか事故死した遺体を横流ししてもらうとかできなかったのだろうか。

でももし仮に自分が人を食べるとしても新鮮で若い女の肉がいいと思うのであまり強くは責められないけども……
過去二十年間で、同じ町だけで三人の行方不明者、50マイル圏内に広げると三十人以上というのは半年に一人あるかないかくらいのペースだがその人数の骨を洪水で漏れ出るような処理しかしてなかった点はツメが甘すぎる。
そしてアリス・パーカーの子孫がエマなのかフランクなのかは知らないが、そんな禁忌を知ってまで嫁ごうないしは婿入しようとは思わないだろう(食人族にありがちな親近婚の家系なんだろうかとも思ったがそのような事実を匂わせる描写は一切ない)。

ラストにそれまでの厳かな雰囲気は一転する。なりふり構わず人を殺したうえ、バローに食人について言及されたフランクは逃げられないと悟り、一家心中を企てる。

それに気づいて抵抗し、連れ戻されたローズはヒ素入りの人肉シチューを目前に父親に噛み付き、それに触発されるようにアイリスも父親に食いかかる。
それがまた何を思ったのか娘たちはモンスターよろしくテーブルに乗り上げて血まみれになりながらぐっちゃぐっちゃと貪っていく。

個人的には父親を包丁やら銃やらでスマートに殺して、最初は泣きながらやっていた手順を一変淡々と押し進めて解体し、姉妹仲良く手を繋ぎ糧にして、抑圧が取り払われ一皮も二皮も剥けた姉妹が新地へ向かうというエンドが望ましかったのだが……
なんだか、本当に本当にそこだけは、少し残念な気がしてならない。

しかし全編を通しての鬱屈とした映像美はかなり好みだったので、また観たい。
バッハの短調を連想させる挿入曲も良かった。
原題は『we are what we are』。