猫 から 怪電波

サブカル巡礼の手記。主に感想文。

映画『高慢と偏見とゾンビ』

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MOVIXにて『高慢と偏見とゾンビ』(2016年/バー・スティアーズ/米)を観てきた。
 
【あらすじ】
フランスから運び込まれた謎のウイルスが蔓延しゾンビが溢れかえる18世紀末イギリス。
ベネット家の五人姉妹は、未来の幸せにつながる花嫁修行をするよりも明日の自分を守る武器の手入れに余念がない。
少林寺拳法やナイフそして銃を駆使し、ゾンビを駆逐するそんな彼女たちは結婚という点では遅れを取っていた。
そんなとき資産家のビングリーが越してきて、舞踏会へ招待される。
ビングリーは長女ジェインと恋に落ちるが、大佐ダーシーと次女エリザベス(以下リズ)の出会いは最悪だった。しかし最初こそダーシーはリズを見下していたものの、自らサーベルを抜きゾンビを薙ぎ払う彼女にダーシーは心惹かれていく。
ゾンビに囲まれた大壁の中、二人は高慢と偏見によりすれ違い、人類は最後の審判へと駒を進める。

 

お上品なフランス料理に安売りのケチャップぶちまけてみましたという本作、メリケンの本領が惜しむことなく発揮されている(褒めてる)。
正直なところゾンビ設定はあってもなくても、という感じだが、金色の高貴な字体で「高慢と偏見」とある後ろにおどろおどろしい赤で記された「とゾンビ」がなかったら私は見向きもしなかったと思うので、アレンジとしては成功だと思う。
この英国貴族の古典恋愛小説ゾンビ仕立ての原作はジェーン・オースティン高慢と偏見』である。今回は不朽の名作という素材をそのまま生かしておきながらゾンビを大量投入したマッシュアップ小説という形になっている。

 

教養の中に武術が数えられるこの世界観、冒頭の「富めるものは日本へ、賢いものは中国へ」という設定をきちんと踏襲し、ダーシーは日本刀、リズたちは少林寺拳法を使い、さらに女同士のマウンティングでは日本の諺や孫子を引用したりとやりたい放題。

話は変わるが洋画の日本語というのはなぜあんなにも滑稽なのか。急に現実に引き戻されるというか。

 

そんなカオスな世界観ではあるが、やはり原作はラブロマンスである。
高慢と偏見というバイアスの中でリズは結婚とは何か、幸せとは何かと翻弄される。
やはりそこには武闘派な描写がセットになっているのだが、個人的な見所をいくつかあげてみる。

  • 母親とリズとコリンズ牧師
    コリンズ牧師というのはベネット姉妹たちの従兄弟にあたり、なんとも鼻持ちならない男だがどこか憎めない、そんな人物である。
    当初コリンズは長女ジェインに言い寄るが先約があると告げられると、しばらくして次女リズに迫る。
    更には母親もコリンズと結婚なさい!と言い、リズは「好きでもない人と結婚するくらいなら独身女で惨めな思いをしたほうがマシ!」と言い放つ。その母子ゲンカの中でしどろもどろ、完全に置いてけぼりを食らうコリンズ。
    「コリンズと結婚なさい!……ごめんなさいね必ず説得するわ」
    「よかった……」
    「いやよ!」
    「ああ、よくない……」
    このシーンのテンポの良さと母親のドアの向こうでの熱演は本作屈指の名場面である。
  • リズとダーシー
    ダーシーはリズのもとに訪れ求婚するが、リズはそれを断る。何故かと問うダーシーに思うところ洗いざらいぶちまけながら少年漫画よろしく取っ組み合いに発展する。
    そして各々ペーパーナイフやキャンドルスタンドを手に愛憎の心をさらけ出すわけだが、その迫力たるやぜひ再見したい。

 

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女性の社会進出とともにセーラームーンプリキュアなどお姫様が直接敵を殴りにいくスタイルの作品が増えてきた。本作も例に漏れず戦うお嬢様が騎士を救い、ときに騎士に護られ、ともに剣を取り合って戦う。
爆風に飲まれたダーシーにすがるリズはさながら男女の逆転した白雪姫、ないしは眠り姫のようだった。
おとぎ話の王子様を待つ従順な女性像は今や、遠い昔の遺産なのかもしれない。

 

 

 

 

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映画『肉』

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池袋新文芸坐にて『肉』(2013年/ジム・ミックル/米)を観てきた。

 

【あらすじ】
ニューヨーク北部に洪水警報がもたらされ、不慮の事故で母親エマが亡くなってしまう。

残された父親フランクと姉妹のアイリスとローズ、そして末っ子のロリー。
傷心の一家を医者のバローや保安官補のアンダース、隣人のマージが支える。
しかしこの土地では行方不明者が多発しており、更に近辺の川から人骨が見つかり、自身の娘も行方不明になっているバローの疑惑はクールー病を患っていたエマ、そして一家へと向かう。

 

終始『小さな悪の華』や『闇のバイブル 聖少女の詩』を彷彿とさせるゴシックな世界観の中で、代々伝わる人肉食という現実に姉妹が葛藤する。

冒頭の格言のようなものに添えられたアリス・パーカーという名前は、パーカ一家の人肉食の歴史の幕切りである張本人。

物語ではパーカ一家は金曜から日曜まで断食していたようだがこれは何故だろう。
キリシタンは妊娠出産・死などに面した時に難を逃れるという意味で断食を行う。
フランクが時折聖書の一節を諳んじるのでキリシタンであることは確実だろう。
日本でも死者の命日にはナマモノを避ける風習がある。
ここで一度、エマを弔ってのことかと考えたが、実はエマの死が確認できる前に断食は決行されていた(末っ子のロリーがスナップポップを催促するのは年相応な感じがして可愛い)。
おそらくパーカー家は「子羊の日」の前には恒常的に断食を行っていたのだろう。

自分たちの生死、そして生贄の生死にまつわるこの儀式の前に断食するのは真っ当な理由と言える。

父親や娘たちがエマの死と空腹により日増しにやつれていき「子羊の日」の直前までくると解体の疲労も相まってかなり疲弊している(青白い肌に赤黒いクマが刻まれている。これがまたゴスっぽい世界観を醸し出している)。

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終盤になるとフランクはサイコホラーさながら人を殺していく(しかも別に食べない)。
そもそも行方不明になっているのはバローの娘やアイリスの同級生とわかるだけでも若い女性ばかり。
なんかもっと墓を荒らすとか事故死した遺体を横流ししてもらうとかできなかったのだろうか。

でももし仮に自分が人を食べるとしても新鮮で若い女の肉がいいと思うのであまり強くは責められないけども……
過去二十年間で、同じ町だけで三人の行方不明者、50マイル圏内に広げると三十人以上というのは半年に一人あるかないかくらいのペースだがその人数の骨を洪水で漏れ出るような処理しかしてなかった点はツメが甘すぎる。
そしてアリス・パーカーの子孫がエマなのかフランクなのかは知らないが、そんな禁忌を知ってまで嫁ごうないしは婿入しようとは思わないだろう(食人族にありがちな親近婚の家系なんだろうかとも思ったがそのような事実を匂わせる描写は一切ない)。

ラストにそれまでの厳かな雰囲気は一転する。なりふり構わず人を殺したうえ、バローに食人について言及されたフランクは逃げられないと悟り、一家心中を企てる。

それに気づいて抵抗し、連れ戻されたローズはヒ素入りの人肉シチューを目前に父親に噛み付き、それに触発されるようにアイリスも父親に食いかかる。
それがまた何を思ったのか娘たちはモンスターよろしくテーブルに乗り上げて血まみれになりながらぐっちゃぐっちゃと貪っていく。

個人的には父親を包丁やら銃やらでスマートに殺して、最初は泣きながらやっていた手順を一変淡々と押し進めて解体し、姉妹仲良く手を繋ぎ糧にして、抑圧が取り払われ一皮も二皮も剥けた姉妹が新地へ向かうというエンドが望ましかったのだが……
なんだか、本当に本当にそこだけは、少し残念な気がしてならない。

しかし全編を通しての鬱屈とした映像美はかなり好みだったので、また観たい。
バッハの短調を連想させる挿入曲も良かった。
原題は『we are what we are』。

映画『食人族』

 

池袋新文芸坐で『食人族』(1983年/ルッジェロ・デオダート/伊)を観てきた。

 

【あらすじ】
物語はグリーンインフェルノと呼ばれる密林地帯に原住民のドキュメンタリーを撮りに行った四人の若いクルーたちを、ニューヨーク大学の教授とその一行が捜索しに行くところから始まる。
教授一行はヤクモ族と接触しボディーランゲージや折りたたみナイフ(文明の譲渡?)で警戒を解き、なにかを発酵させて作ったような酒(白くてドロドロしており同行した軍人によると最高のもてなしらしいが、それを原住民が塗りたくるように食べている姿はかなりグロテスク……)、果てには人肉を口にするなどして信頼を得る。
その後消息不明だった四人の遺体を確認し、教授の機転でフィルムを持ち帰るが、そこにはフェイクドキュメンタリーのために暴虐の限りを尽くすクルーたちの記録が残されていた。
フィルムを公開するか否かで揉めていたテレビ局のお偉方もこの惨状を見て閉口し、終いには焼却を命ずるほどであるが、そのフィルムがどういうわけか流出して……というシロモノ。

 

食人こそフェイクなものの、作中の
○教授一行が大ネズミを屠殺する
○原住民が猿の脳をすする
○クルーたちが大きな亀を捌いて食べる
○原住民の食料である子豚を撃ち殺す

これらの描写はどうやら本物らしい。
これこそ時代がなせる技だと思う。がやはり亀のシーンが引っかかってイタリアで上映禁止になっていた。

 

ヤクモ族やらヤマモモ族やらその中でも木族と沼族で対立しているというらしいが、正直どっちが木族でどっちが沼族だかよくわからず(原住民は基本的に泥にまみれていたので)。

 

クルーたちは住民間の抗争を演出するため原住民を押し込めた家に火を放ったり、原住民の少女を陵辱する。

また自身では気づかなかったが他のサイトの感想考察によると

○毒蛇に咬まれたガイドの足を切断する(結局死ぬ)。
○「原住民は歳をとると自ら村を離れる」とワニに食われた老婆の死体を解説する。
○自分たちの陵辱した原住民の少女が串刺しになっているのを「原住民がこれほどまでに純潔を重んじるなんて……」と嘆く。

これらも全てクルーたちによる演出としている。
ガイドは咬まれた際に自分で「足を切ってくれ!」と言っているのでそうとは思わなかったが、原住民の老婆や少女に関しては、言われてみればそうなのかもしれない。
クルーたちが原住民の内情なんて知ってるはずがないし、まさかあれだけやりたい放題してからインタビューしてると思えない。
少女のときは切り替わった時点でもうすでに串刺しになっており誰がやったかはわからない。さらにカメラが回ってから「笑うな、もう撮ってる」と促されてから嘆いている。

 

どちらにせよもっとも野蛮なのは食人族ではなく。文明人たちの方だということは確かだろう。

 

調べてみるとエクスプロイテーションホラー映画の括りらしい。

 

○ハンディカムによる主観の撮影法(POV撮影法)
○上記した動物殺し
○クルーたちの作品の一つとして流される銃殺映像(作中ではヤラセ扱いだが本物のスナッフ、というよりは戦時中の虐殺記録?)


これらのリアルと食人というフェイクを混在させることによって作品全体に妙な臨場感を醸し出しており、監督ルッジェロ・デオダートの鬼才を感じた。

映画『少女椿』

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シネマート新宿にて『少女椿』を観てきた。

 

まず冒頭の段階で見せ場をねじ込むと、観客は遥か彼方に置いて行かれるということを学んだ。

 

さらに時代設定があやふやで混乱した。端役の子供の服装は平成で、カナブンの服装は原宿系で、でも汽車が走っていて四次元さながらの収納力を持ったキャンピングカーの赤猫座があって。

カオスな異世界観の演出ということなら効果的だったと思う。

 

これだけの狂気と出鱈目と不条理の溢れている中で頭一つ抜きんでてたのが町の実力者役の鳥肌実だった。

随分と前に虚飾集団廻天百眼の『少女椿』で嵐鯉次郎(親分)を演じた常川博行氏が、現役と比べて恰幅の良くなった鳥肌実を見て「是非彼を親分役に起用しよう!」というようなことをツイートしていた気がしたが(遡れなかった……)、

残念ながら今回は親分でなかったけれども、たったワンシーンなのにナチュラルにイっちゃっててやっぱり本物は違うなあと思った(褒め言葉)。


紅悦のおっぱいをみて、ああ、これが電波に乗せていい模範おっぱいかって思った。模範おっぱいってなんだろうね。

 

子犬を踏み殺す靴が夢かわいい色(返り血ナシ、死骸ナシ)でなんとも言えない気持ちになった。

 

後半からは見入ってしまった。ワンダー正光とみどりちゃんの末路には泣きそうになった。

 

少女椿に求めるのはエログロもさることながらあの退廃殺伐それゆえ夢幻極彩地獄みたいな世界観、雰囲気だと思う。廻天百眼とはまた違う少女椿だった。

 

 

最後に現役の頃の鳥肌実を。

 

 

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少女椿

少女椿